② マクロ経済学とマクロ経済の現実論
本章では、一般的なマクロ経済学と、私が提唱する「マクロ経済の現実論」との基本的な相違点について考察いたします。
両者はともに国家経済を対象とする理論でありますが、その基本的な視点と目的には、大きな違いがあると私は考えています。
第一 財政に対する基本的な考え方
第一の違いは、国家財政に対する考え方であります。
一般的な経済学や財政論では、財政規律や財政の持続可能性を重視し、歳入と歳出の均衡を重要な目標として論じる立場があります。
もちろん、財政の持続可能性を考えることは重要であり、無秩序な財政運営が望ましいということではありません。
しかし、現実の国家経済を見ますと、国家は毎年多くの公共サービスを提供し、景気変動や災害、社会保障などに対応するため、歳入と歳出が常に一致するわけではありません。
国家経済は、市民経済のように利益を追求する主体ではなく、公共財を継続的に供給する主体であります。
したがって、国家財政を家計簿のような感覚だけで評価することは、国家経済の実態を十分に表しているとは言えません。
マクロ経済の現実論では、国家財政を「公共財を供給し、市場経済を支えるための経済活動」として捉えます。
重要なのは、歳出超過という数字だけではなく、その支出が社会全体の経済循環にどのような役割を果たしているかという点であります。
第二 国家経済の目的
第二の違いは、国家経済の目的であります。
一般的なマクロ経済学では、経済成長率、国民所得、国内総生産(GDP)、雇用、物価など、多様な経済指標を用いて国家経済を分析します。
これらの指標は国家経済を理解する上で重要な情報ですが、私は、それ自体が最終目的ではないと考えています。
経済活動の本来の目的は、人々が必要とする商品・製品・サービスを生産し、それを社会全体へ供給することにあります。
貨幣そのものが人間を豊かにするのではありません。
貨幣は、商品・製品・サービスを円滑に交換するための手段であります。
物々交換の時代には、「自分が売りたいもの」と「相手が買いたいもの」、「自分が買いたいもの」と「相手が売りたいもの」が一致しなければ交換は成立しませんでした。
経済学では、これを「欲望の二重の一致」と呼びます。
貨幣の登場によって、この制約は大きく解消され、人々はより自由に経済活動を行うことができるようになりました。
しかし、ここで忘れてはならないことがあります。
貨幣はあくまでも交換を円滑にするための手段であり、経済活動の目的ではありません。
人間が求めているものは、生活を支える食料であり、住居であり、医療であり、教育であり、文化であり、多様な商品・製品・サービスであります。
したがって、国家経済を評価する際にも、貨幣の増減だけではなく、社会全体としてどれだけ質の高い財やサービスを生み出し、人々の生活へ結び付けているかという視点が重要となります。
市民経済と国家経済の違い
市民経済では、個人や企業は商品・製品・サービスを消費するために所得を得ます。
貨幣を獲得することは目的ではなく、より豊かな生活を実現するための手段であります。
一方、国家経済は、市民のように商品やサービスを消費することを目的とする主体ではありません。
国家の役割は、公共財や公共サービスを提供し、市場経済が円滑に機能する環境を整え、必要な資金循環を支えることにあります。
そのため、国家は公共投資や教育、防災、社会保障、インフラ整備などを通じて市場へ資金を支出し、経済活動を支えます。
この支出は、単なる貨幣の移動ではありません。
企業活動を活性化し、雇用を生み、人材を育成し、生産力を高めるための社会的投資であります。
ここに、市民経済と国家経済との本質的な違いがあります。
結論
マクロ経済の現実論では、国家経済の役割を、市場経済を支える経済循環の中核として位置付けます。
国家は、公共財の供給と制度の整備を通じて、社会全体が安心して経済活動を行える環境を築きます。
その過程で市場へ必要な資金が循環し、企業活動が活発になり、雇用が生まれ、生産力が向上し、人々の生活が豊かになります。
したがって、国家経済の目的は、貨幣そのものを増やすことではありません。
公共財を供給し、経済循環を維持・発展させ、市場に必要な資金が適切に流れる環境を整えることによって、商品・製品・サービスの質と量を高め、国民生活の向上へつなげることにあります。
これが、私が提唱する「マクロ経済の現実論」の基本的な考え方であります。
