
ご挨拶
土屋 暁(つちや さとる)
私は、「マクロ経済の現実論」の論者であります土屋暁(つちやさとる)と申します。
当ホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。
マクロ経済、すなわち国家経済は、私たち一人ひとりの暮らしや企業活動、さらには地域社会や国の将来にまで深く関わる重要な学問です。しかし、その仕組みは非常に大きく複雑であるため、「難しい」「専門家だけの世界」と感じられる方も少なくありません。
私は、不動産鑑定士・社会保険労務士として実務に携わる中で、企業経営や労働、地域経済、そして国家財政を数多く見てまいりました。その経験を重ねるほど、教科書で語られる経済と、現実に動いている経済との間には、少なからぬ隔たりがあることを実感するようになりました。
そこで私は、「現実に経済はどのように動いているのか」という視点を第一に据え、誰もが理解できる言葉でマクロ経済を説明することを目指し、「マクロ経済の現実論」をまとめることにいたしました。
この理論には多くの論点がありますが、最初にぜひ押さえていただきたい考え方があります。
それは、民間経済が年間100兆円の黒字であるならば、国家経済は年間100兆円の赤字になるということです。
そして、さらに重要なのは、その国家経済の100兆円の赤字は、直ちに「財政破綻」や「不健全財政」を意味するものではなく、民間経済との資金循環という観点から見れば、むしろ極めて健全な姿として理解できる場合があるということです。
この考え方は、多くの方にとって、これまで学ばれてきた経済学とは異なる印象を受けられるかもしれません。しかし、マクロ経済は個人の家計や企業会計とは仕組みが異なり、「国家全体のお金の循環」という視点から眺めることで、その意味が少しずつ見えてきます。
総論としては、まずこの基本的な考え方をご理解いただければ十分です。最初からすべてを理解しようとする必要はありません。総論をしっかりと押さえたうえで、各論へ進んでいただければ、一つひとつの理論が互いに結び付き、全体像が自然と見えてくるはずです。
途中には、初めて耳にする考え方や、従来の常識とは異なる論点も数多く登場します。しかし、それらは決して難解な理論ではなく、現実の経済活動を一つひとつ丁寧に積み重ねて導き出した結論です。焦らず、肩の力を抜いて読み進めていただければ幸いです。
私が願うのは、この理論を通じて、一人でも多くの方が「経済は難しいものではなく、現実を理解するための学問である」と感じてくださることです。そして、企業経営者、実務家、学生、市民の皆様が、それぞれの立場から国家経済を考えるきっかけとなれば、これほど嬉しいことはありません。
それでは、「マクロ経済の現実論(原理論編)」をごゆっくりご覧ください。
皆様にとって、本書が国家経済の本質を理解する一助となることを心より願っております。

マクロ経済の現実論概要
マクロ経済の現実論は、国家経済を「現実に動いている経済」として捉え、その本質を解き明かそうとする理論です。
一般に私たちは、日常生活における家計や企業経営の感覚で国家経済を考えがちです。しかし、市民経済と国家経済では、経済の規模も、資金の流れも、財やサービスの供給構造も大きく異なります。そのため、市民経済の常識をそのまま国家経済へ当てはめると、多くの誤解が生じます。
マクロ経済の現実論では、まずこの違いを理解することを出発点としています。
第一 国家経済は「お金」だけでは動かない
第一に理解していただきたいことは、国家経済では、十分な資金があっても、必要な財やサービスを直ちに購入できるとは限らないということです。
市民経済では、欲しい商品があれば、お金を支払うことによって購入できる場合がほとんどです。そのため、「お金さえあれば何でも買える」という感覚を持ちやすいでしょう。
しかし、国家経済では事情が異なります。
例えば、数年前に発生した能登半島地震では、被災地の復旧・復興を迅速に進めるため、「解体工事の予算をもっと増やすべきである」という意見が数多く見られました。
もちろん、十分な予算を確保することは重要です。しかし、ここで見落としてはならない現実があります。
全国に存在する解体業者の数や重機、作業員には限りがあります。仮に予算だけを二倍、三倍に増やしたとしても、翌日から解体業者が二倍、三倍に増えるわけではありません。必要な技能を持つ人材の育成や設備の整備には時間がかかり、供給能力には現実的な上限があります。
つまり、国家経済では、「予算があること」と「実際に事業を実施できること」は必ずしも一致しません。
経済活動は、お金だけで成立するものではなく、人材、設備、技術、時間、物流など、多くの要素によって支えられています。
これが、マクロ経済の現実論における最初の基本原理です。
第二 資金を配れば経済力が増えるわけではない
第二に理解していただきたいことは、資金を国民へ配布することと、国全体の経済力が向上することは同じではないということです。
例えば、国民全員に一人当たり十万円の給付金を支給した場合を考えてみます。
給付金によって家計に余裕が生まれ、一時的に消費が活発になることは考えられます。しかし、国民が同じ時期に同じ商品やサービスを求め、国内の供給能力が変わらないままであれば、需要だけが急激に増加します。
その結果、生産や供給が追い付かなければ、商品の価格は上昇し、十分な供給を受けられない人も現れます。
つまり、国内全体の財・サービスの総量が変わらない限り、国民が保有するお金だけを増やしても、国全体として利用できる財やサービスの総量は増えません。
したがって、国家経済の真の豊かさは、貨幣の量だけでは測ることができず、生産能力、技術力、人材、設備、物流、そしてサービス提供能力など、社会全体の供給力によって決まります。
マクロ経済の本質
このように、マクロ経済の現実論では、国家経済を貨幣だけで説明するのではなく、「現実の供給能力」と「経済循環」の両面から捉えます。
企業の投資、労働者の雇用、所得、消費、生産、そして再投資という循環が円滑に機能することによって、社会全体の生産能力が向上し、国民生活は豊かになります。
すなわち、国家経済の本質は、お金そのものではありません。
人・企業・技術・設備・知識・時間が相互に結び付き、財やサービスを継続的に生み出す「現実の経済力」こそが、国家経済の真の姿である。
これが、マクロ経済の現実論の出発点であり、全編を通じて一貫する基本思想です。
マクロ経済の現実論における循環原理
マクロ経済の現実論では、国家経済を「一つの巨大な循環システム」として捉えます。
私たちは日常生活において、お金の流れを「支出」と「収入」という個人の立場から考えることが一般的です。しかし、国家全体を俯瞰すると、一人の支出は必ず誰かの収入となり、企業の支出は従業員や取引先の所得となり、政府の支出は民間経済の売上や所得となります。
すなわち、国家経済には「誰かが失ったお金が消えてしまう」という現象はありません。経済主体の間を、お金・財・サービス・労働が絶えず循環しているのです。
この循環こそが、国家経済の生命線です。
例えば、企業が工場を建設し、新しい設備を導入するとします。この投資は建設会社の売上となり、建設会社は従業員へ賃金を支払い、資材会社へ代金を支払います。従業員はその所得をもって住宅を借り、食料を購入し、自動車を買い、旅行を楽しみます。その消費は、別の企業の売上となり、その企業はさらに設備投資や研究開発、人材育成を進めます。
このように、
投資は所得を生み、所得は消費を生み、消費は企業の売上を生み、売上は新たな投資を生む。
これが経済循環の基本構造です。
国家経済の成長とは、この循環が継続し、拡大していく過程にほかなりません。
一方、この循環のどこかで停滞が生じると、経済全体へ連鎖的な影響が及びます。
企業が投資を控えれば、新たな仕事は減少します。仕事が減れば所得が減少し、所得が減れば消費が縮小します。消費が減少すれば企業の売上も減り、企業はさらに投資を控えることになります。
この悪循環が続けば、景気後退や失業の増加、税収の減少などが同時に進行します。
逆に、適切な投資が行われ、供給能力の拡充と需要の拡大が調和すれば、企業活動は活発になり、雇用は増え、所得は向上し、税収も自然に増加していきます。
ここで重要なのは、「お金そのもの」が経済を豊かにするのではなく、お金を媒介として、人・企業・技術・設備・知識・時間が有機的に結び付くことによって、現実の財やサービスが生み出されるという点です。
したがって、国家経済を評価する際には、財政収支や貨幣量だけを見るのではなく、「経済循環が健全に維持されているか」という視点が不可欠です。
マクロ経済の現実論は、この循環原理を国家経済の最も基本的な原理と位置付けています。
国家の役割とは、この循環を維持し、停滞した循環を回復させ、将来に向けてより豊かな循環へと発展させる制度や環境を整備することにあります。
すなわち、国家経済とは「財政」や「金融」だけを論ずる学問ではなく、人・企業・政府・地域社会が相互に支え合いながら循環する巨大な生命体なのであります。
この循環を理解することが、マクロ経済を理解する第一歩であり、「マクロ経済の現実論」全編を貫く基本原理となります。
文明設計論概要
マクロ経済の現実論は、国家経済の現実を解明することを目的として研究を進めてきました。しかし、国家経済を深く考察するほど、経済は単独で存在するものではなく、教育、科学技術、法制度、文化、倫理、企業活動、地域社会など、多様な要素と相互に結び付いていることが明らかとなります。
すなわち、国家経済は文明を構成する一要素であり、文明全体の循環の中で初めてその役割を正しく理解することができます。
このことから、マクロ経済の現実論は、単なる経済理論にとどまるものではなく、人類社会全体の構造を考察する「文明設計論」へと発展する可能性を有しています。
文明設計論では、人類社会を支える基本構造を、「知識」「制度」「経済」の三つの柱が相互に循環する仕組みとして捉えます。
第一の柱は、「知識」であります。
知識とは、教育、学術研究、科学技術、経験、歴史、文化など、人類が長い年月をかけて蓄積してきた知的資産であります。
教育によって人材が育成され、研究によって新たな知識が創造され、科学技術が発展し、その成果は企業活動や社会制度へと受け継がれていきます。
知識は文明発展の原動力であり、世代を超えて継承されることによって、文明は継続的な発展を遂げます。
第二の柱は、「制度」であります。
制度とは、法律、行政、司法、教育制度、税制、社会保障、金融制度、地方自治など、人々が安心して生活し、経済活動を行うための社会的基盤であります。
制度は社会秩序を維持するとともに、人々の信頼を支え、知識の活用と経済活動を円滑にする役割を果たします。
制度が健全であれば、企業は安心して投資を行い、人々は安心して働き、研究や教育も継続的に発展することができます。
第三の柱は、「経済」であります。
経済とは、人・企業・国家が相互に協力しながら財やサービスを生産し、所得を分配し、消費と投資を通じて社会全体を維持・発展させる循環活動であります。
経済は単なる貨幣の流れではなく、人材、技術、設備、時間、情報など、多くの資源を有機的に結び付ける社会活動そのものであります。
知識は制度を発展させ、制度は経済活動を支え、経済活動は教育や研究への投資を可能にし、新たな知識を生み出します。
この三つは独立して存在するものではなく、一体となって循環し続けることによって文明を支えています。
したがって、文明とは、「知識・制度・経済」が相互に循環し、世代を超えて継承されることによって発展する社会システムであります。
文明設計論において最も重要なことは、一部分だけを発展させることではありません。
経済だけが成長しても、教育が衰退すれば技術革新は停滞します。制度だけを整備しても、企業活動が停滞すれば社会全体の活力は失われます。知識だけが蓄積されても、それが制度や経済へ生かされなければ、文明は十分に発展することができません。
すべての要素が調和し、一つの循環として機能するとき、文明は持続的な発展を実現します。
この循環こそが、人類社会の基本構造であります。
文明設計論が目指すものは、単なる経済成長でも、一時的な繁栄でもありません。
教育によって人材を育成し、科学技術を発展させ、公正で信頼される制度を整備し、企業活動を活性化させ、健全な経済循環を維持することによって、人類社会全体が持続的に発展できる文明を設計することであります。
人類の歴史は、戦争や災害、経済危機など数多くの困難を経験してきました。しかし、そのたびに知識を継承し、制度を改善し、経済を再建することによって文明は発展を続けてきました。
文明設計論は、この歴史的経験を踏まえ、人類社会の普遍的な発展原理を体系化しようとする試みであります。
マクロ経済の現実論は、この文明設計論の経済的基盤を担う理論として位置付けられます。
そして文明設計論は、「知識・制度・経済」の循環を基軸として、人類社会全体の持続的な発展を目指す、人類社会の最終設計論へと発展していくものであります。

市民経済論・国家経済論
前章の「マクロ経済の現実論概要」を受け、本論では経済を理解するための基本的な視点として、「市民経済論」と「国家経済論」という二つの考え方を明確に区別して考察してまいります。
私たちが日常生活の中で身に付けている経済感覚は、そのほとんどが市民経済における経験から形成されています。家庭での家計管理、企業における経営判断、商店での商品購入など、私たちは限られた収入や資産を前提として、どのように支出すれば最も合理的であるかを日々考えています。
このような経済の考え方を、本論では「市民経済論」と呼びます。
市民経済では、まず収入があり、その範囲内で支出を行うことが基本となります。収入を超える支出は長期的には持続することができず、家計や企業経営に大きな負担を生じさせます。そのため、収入と支出の均衡を意識し、限られた資源を有効に活用することが、市民経済における合理的な行動となります。
また、資金はそれ自体が目的ではありません。
資金は生活を豊かにするための商品やサービスを購入するための手段であり、その先にある消費や生活の充実こそが本来の目的です。
例えば、住宅を購入すること、食事を楽しむこと、教育を受けること、旅行をすること、医療を受けることなど、人々は資金を用いて必要な財やサービスを享受します。
したがって、市民経済においては、「資金を保有すること」ではなく、「資金を適切に活用して生活の質を向上させること」が経済活動の目的であります。
このような考え方は、家庭や企業を考える上では極めて合理的であり、現実社会においても重要な原則であります。
しかし、この市民経済の考え方を、そのまま国家経済へ当てはめると、多くの誤解が生じます。
本論でいう「国家経済論」は、市民経済とは異なる視点から国家全体の経済を捉える考え方です。
国家は、一つの商品を購入したり、一企業の利益を追求したりする主体ではありません。
国家経済の目的は、国民に代わって消費を行うことではなく、国民や企業が安心して経済活動を営むことができる環境を整備し、市場経済が円滑に循環する基盤を維持することにあります。
そのため国家は、道路、橋梁、港湾、上下水道、防災施設、教育、警察、消防、司法、防衛、社会保障、感染症対策など、市場だけでは十分に供給されにくい公共サービスを担います。
これらは、多くの場合、民間企業のように利益を目的として提供されるものではありません。
むしろ、採算だけを基準とすれば十分な供給が難しい分野であるからこそ、国家が継続的に担う意義があります。
本論では、このような公共財や公共サービスを供給する活動を、「赤字活動」と表現しています。
ここでいう赤字活動とは、経営の失敗を意味するものではありません。
民間企業のように利益を追求することを目的とせず、社会全体の利益や安全、生活基盤を維持するために必要な活動を意味しています。
例えば、災害復旧、防災対策、学校教育、警察・消防、社会保障などは、利益を上げることよりも、国民生活を支えること自体が目的です。
したがって、これらの分野で国家が支出を行うことは、単純に「赤字だから不健全」と評価すべきものではありません。
重要なのは、その支出が社会全体の経済循環を支え、民間経済が安心して活動できる環境を整えているかどうかです。
国家経済は、民間経済と対立する存在ではなく、民間経済を支える基盤であります。
民間企業が安心して投資を行い、人々が安心して働き、消費し、生活することができる社会を実現するためには、国家による公共財の供給が欠かせません。
つまり、市民経済は個々の生活を支える経済であり、国家経済はその市民経済全体を支える経済であります。
両者は目的も役割も異なりますが、互いに対立するものではなく、一つの経済循環の中で相互に補完し合う存在です。
本論では、この二つの視点を明確に区別することを出発点とし、その上で国家財政、公共投資、経済成長、雇用、税制、社会保障などの諸問題について考察を進めてまいります。
市民経済の常識だけでは理解しにくい論点も少なくありませんが、「市民経済」と「国家経済」は異なる原理で動いているという視点を念頭に置いて読み進めていただければ、本論全体の構造をより深くご理解いただけるものと考えております。
文明経済論
― 人類社会の持続的発展を支える文明循環の理論 ―
市民経済論は、個人や企業の経済活動を対象とする理論であります。
国家経済論は、国家全体の経済循環を対象とする理論であります。
そして文明経済論は、国家を超えた人類社会全体の持続的な発展を対象とする理論であります。
人類は数万年にわたり、知識を蓄積し、技術を発展させ、社会制度を整備しながら文明を築いてきました。
文明は、一人の天才によって成立するものではありません。
一人ひとりが学び、働き、研究し、企業を経営し、子どもを育て、社会制度を改善し、その成果を次の世代へ受け継ぐことによって発展してきたものであります。
したがって、文明とは、一世代限りの成果ではなく、人類が世代を超えて築き続ける巨大な循環システムであります。
文明経済論では、この循環を人類社会の基本構造として捉えます。
その循環は、「知識」「制度」「経済」の三つを中核として構成されます。
教育によって知識が継承されます。
知識は研究によって新しい技術を生みます。
技術は企業活動を支え、生産能力を向上させます。
企業活動は雇用を創出し、人々に所得をもたらします。
所得は消費を生み、企業の売上となります。
企業は利益を得て、再び設備投資や研究開発を行います。
その成果は税収となり、国家は教育、科学研究、社会資本、防災、司法、医療などの公共サービスを充実させます。
そして、その教育を受けた次の世代が、さらに新たな知識と技術を生み出します。
この循環が絶えることなく続くことによって、文明は発展していきます。
したがって、人類社会の豊かさとは、単に貨幣が増えることでも、国内総生産(GDP)が増加することだけでもありません。
教育が発展し、研究が進み、技術革新が生まれ、企業活動が活性化し、公正な制度が維持され、人々が安心して生活できる社会が継続することこそが、文明の発展であります。
文明経済論では、経済は文明の一部として位置付けられます。
経済だけが発展しても、教育が衰退すれば、やがて技術革新は停滞します。
技術だけが発展しても、制度が未成熟であれば、その成果は社会全体へ還元されません。
制度だけを整備しても、経済活動が停滞すれば、人々の生活は豊かになりません。
このように、「知識」「制度」「経済」は相互に依存し、一体となって循環することによって初めて文明は持続的に発展します。
文明経済論では、この循環を文明循環と呼びます。
文明循環は、個人、企業、国家、地域社会、そして国際社会を結び付ける人類共通の基盤であります。
国家は文明循環を支える制度を整備し、企業は新たな価値を創造し、教育機関は人材を育成し、市民は知識と経験を次世代へ継承します。
それぞれの役割は異なりますが、目的は共通しています。
それは、人類文明を持続的に発展させることであります。
この視点から見れば、経済政策も財政政策も教育政策も科学技術政策も、それぞれ独立した政策ではありません。
すべては文明循環を維持し、発展させるための手段として位置付けられます。
文明経済論が目指すものは、経済成長そのものではありません。
経済成長を通じて、人間の尊厳を守り、教育を充実させ、科学技術を発展させ、公正な制度を築き、豊かな文化を育み、次の世代へより良い社会を継承することであります。
すなわち、人類社会の目的は貨幣の蓄積ではなく、文明の継承と発展にあります。
文明経済論は、この文明循環を人類社会の基本原理として位置付け、「知識・制度・経済」が調和しながら循環する社会こそが、人類社会の持続的発展を実現する最も基本的な構造であると考えます。
そして、この文明循環を基礎として社会制度を設計し、人類全体の幸福と持続的な発展を目指すことが、「マクロ経済の現実論」の最終的な理念であり、「人類社会の最終設計論」へとつながる基本思想であります。

貧困ゼロ・職業意識高揚
マクロ経済の現実論では、国家経済は単に国内総生産(GDP)を増加させることだけを目的とするものではありません。
国家経済が真に目指すべきものは、国民一人ひとりが安心して生活し、それぞれの能力を十分に発揮しながら、豊かな人生を築くことのできる社会を実現することであります。
本論では、その中心となる国家的課題として、「貧困ゼロ」と「職業意識高揚」の二つを掲げます。
第一 貧困ゼロ
現代社会を見渡しますと、人類の生産能力は歴史上かつてないほど向上しています。
農業、漁業、建設業、製造業、物流業、情報通信業、医療、教育など、多くの産業が発展し、人類は膨大な量の商品・製品・サービスを供給する能力を有しています。
衣・食・住という生活の基盤となる分野についても、社会全体としての供給能力は着実に向上してきました。
もちろん、地域差や災害、国際情勢などによって供給が不安定になる場合はありますが、平時において十分な生産能力を有する社会では、「必要なものが絶対的に存在しない」というよりも、「必要とする人へ十分に届いていない」という問題が大きな課題となります。
ここに国家経済の重要な役割があります。
国家経済の責務の一つは、民間経済の活力を尊重しながら、公正な制度を整備し、国民が必要な財やサービスへ適切にアクセスできる環境を整えることです。
市場経済は、競争を通じて生産性を高める優れた仕組みですが、市場だけでは十分に解決できない課題も存在します。
そのため、労働者保護、教育、社会保障、公共インフラなどを適切に組み合わせることによって、市場経済の長所を生かしながら、生活の基盤を支えることが重要となります。
マクロ経済の現実論では、十分な生産力と健全な経済循環、そして適切な制度設計を前提とするならば、貧困の解消を社会全体として目指すことは十分に現実的な目標であると考えます。
経済の目的は、一部の人だけが豊かになることではありません。
社会全体が持つ生産力を生かし、誰もが安心して生活できる基盤を築くことにあります。
第二 職業意識高揚
人類社会は、産業革命、情報革命を経て、新たな時代へ歩み始めています。
近年では、人工知能(AI)やロボット技術の発展により、多くの定型的な業務が自動化されつつあります。
また、多くの国々では、戦争よりも平和的な経済活動や国際協力が社会発展の中心となっています。
このような社会では、人間に求められる役割も変化します。
これからの時代において、人間が最も価値を発揮する分野は、創造性、判断力、倫理観、共感力、研究開発、芸術、教育、医療、地域づくりなど、人間ならではの能力を必要とする仕事であります。
仕事は、生活費を得るためだけの手段ではありません。
仕事とは、自らの能力を社会へ生かし、人々の生活を支え、新しい価値を創造し、文明を次世代へ継承する営みでもあります。
職業には、それぞれ社会的使命があります。
農業は人々の命を支え、建設業は社会基盤を築き、製造業は生活を豊かにし、教育は未来の人材を育て、医療や介護は人々の安心を支えます。
あらゆる職業は、人類文明を支える重要な役割を担っています。
そのため、国家経済は、雇用を確保するだけでなく、一人ひとりが自らの職業に誇りと使命感を持ち、その能力を十分に発揮できる社会環境を整備することを目指すべきであります。
人間が仕事に喜びを見いだし、創造的な活動へ挑戦し続ける社会は、経済的にも文化的にも豊かな社会となります。
マクロ経済の現実論では、「職業意識高揚」を単なる勤労精神の向上ではなく、人間の創造性を引き出し、文明全体の発展を支える重要な国家的課題として位置付けます。
国家経済の使命
国家経済の使命は、経済成長だけを追い求めることではありません。
国民一人ひとりが安心して生活できる社会を築き、誰もが能力を発揮できる機会を広げ、創造的な仕事に誇りを持って取り組める環境を整えることにあります。
「貧困ゼロ」は人間の生活基盤を守る理念であり、「職業意識高揚」は人間の可能性を伸ばす理念であります。
この二つが調和するとき、経済は単なる貨幣の循環ではなく、人々の幸福と文明の発展を支える循環へと昇華します。
これこそが、マクロ経済の現実論が目指す国家経済の基本理念であり、文明経済論、さらには人類社会の最終設計論へとつながる重要な柱であります。

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