公共財と国家経済の役割論
―「もったいない」という個人経済の価値観を国家経済に適用してはいけない―
前回、「マクロ経済の現実論その原点」として、国家経済における基本的な構造について述べました。
その中心的な考え方は、国家経済を一つの大きな経済循環として捉えることです。
例えば、国家が100兆円の歳出超過を行う場合、その裏側では民間経済全体に100兆円の資金が供給されることになります。
つまり、国家財政の赤字という一側面だけを見るのではなく、その反対側に存在する民間部門の所得形成という側面を見る必要があります。
個人や企業の経済では、支出は負担であり、節約することが利益につながります。
しかし、国家経済では事情が異なります。
国家の支出は、民間企業の売上となり、労働者の所得となり、さらに新たな消費を生み出す循環になります。
この視点を理解すると、公共財に対する考え方も変わります。
公共財は「安ければ良い」というものではない
道路、高速道路、橋、ダム、空港、上下水道などの公共財は、単なる支出対象ではありません。
これらは、国家全体の生産性を向上させ、国民生活の利便性を高め、将来世代へ引き継ぐ社会資本です。
過去の日本では、その時代における最高水準の技術を活用して、全国規模のインフラ整備を行ってきました。
東名高速道路、名神高速道路、新幹線、治水施設などは、建設当時には「贅沢ではないか」という議論もございました。
しかし、結果として、これらの公共投資は日本経済の発展基盤となりました。
公共財において重要なのは、単純な建設費の削減ではありません。
国家全体として、どれだけ有用な商品・製品・サービスを国民へ提供できるかという点です。
「もったいない」という感覚の限界
個人生活において「もったいない」という考え方は非常に重要です。
限られた収入の中で、無駄をなくし、効率的に生活することは望ましいことです。
しかし、この価値観をそのまま国家経済へ適用すると、判断を誤る可能性があります。
国家経済では、必要な公共財を十分に整備することによって、民間経済全体の活動を活性化させることができます。
したがって、国家規模の公共投資においては、「安く作ること」だけを目的にしてはいけません。
最も重要なのは、国民全体にとって最大限有益な社会資本を形成することです。
事業仕分けに見る国家経済観の違い
過去に民主党政権による「事業仕分け」がございました。
もちろん、行政に無駄がないか検証すること自体は重要です。
しかし、国家経済という視点から見ると、単純に「削減することが善」という考え方には限界があります。
本当に不要な事業は整理する必要があります。
一方で、将来的な国民生活の向上や経済発展につながる公共財については、必要以上に抑制するべきではありません。
公共財は、現在の支出だけを見るのではなく、将来どれだけ国家全体の価値を生み出すかを見る必要があります。
公共支出が過剰になった場合の調整
もちろん、国家支出には無制限という意味ではありません。
公共投資が過大になり、国内の供給能力を超えて資金が流通すれば、物価上昇などの問題が発生する可能性があります。
その場合には、公共事業費の調整、税制による資金吸収、価格調整などによって、国家経済全体のバランスを取ることになります。
つまり、重要なのは「財源があるから支出できる」という発想ではなく、「国家経済全体の適正な資源配分を考えて支出を調整する」という考え方です。
これからの政治に求められるもの
現在の日本政治において重要なのは、一部の利益関係者だけではなく、国民全体の経済的豊かさを実現する政策です。
国家経済は、一部の人が利益を得る仕組みではなく、国民全体の商品・製品・サービスの質と量を最大化するために存在します。
政治の役割とは、限られた予算を奪い合うことではありません。
国家全体の経済力を高め、その成果を国民全体へ還元することです。
今後、日本が目指すべき社会は、必要な公共財を十分に整備し、市場経済の活力を維持しながら、国民全体が豊かさを享受できる社会です。
マクロ経済の現実論とは、単なる財政論ではありません。
国家全体の商品・製品・サービスをいかに最大化するかという、国家経済の本質を考察する理論なのです。
今後も、経済・社会・政治のあり方について、現実を基準として考察を続けていきたいと思います。
