政治家の評価基準とは何か
~市民経済論から国家経済論へ転換する必要性~
政治学者、社会学者、評論家などの発言で、しばしば次のような趣旨の意見を耳にします。
「政治家は、理念や考え方が正しかったとしても、結果が悪ければ責任を負わなければならない。」
一見すると、もっともらしい意見に聞こえます。
しかし、マクロ経済の現実論という視点から考察すると、この表現には重要な前提が不足しています。
正確には、
「市民経済論の視点では理念や考え方が正しくても、国家経済論の視点では結果的に誤った方向へ進む場合がある。」
と表現すべきです。
つまり、問題は「結果が悪かったかどうか」だけではありません。
そもそも、政策判断を行う際に、どの経済原理を基準としていたのかが重要なのです。
1.市民経済論と国家経済論の違い
まず、市民経済論とは、個人や企業など、一つ一つの経済主体を見る考え方です。
例えば企業経営では、
- 売上を増加させる
- 費用を削減する
- 利益を確保する
- 借入金を返済する
という考え方が基本になります。
これは当然、個々の経済主体にとって正しい考え方です。
一方、国家経済論では視点が異なります。
国家全体では、政府支出、公共財、社会保障、インフラ整備などが、民間経済全体の商品・製品・サービスの供給能力を高める役割を持ちます。
つまり、国家経済では、
「支出=損失」
ではありません。
公共支出によって、
- 道路が整備される
- 物流が改善する
- 技術開発が進む
- 国民生活が向上する
のであれば、それは国家全体の資産形成になります。
2.国家経済に市民経済の原理を持ち込む問題
ここで重要なのは、市民経済論と国家経済論は、優劣ではなく役割が異なるということです。
企業経営者が利益を追求することは正しいです。
しかし、国家経済の運営において、すべてを企業経営と同じように考えると問題が生じます。
例えば、道路、橋、港湾、空港、研究施設などの公共財について、
「利益が出ないから不要である」
「採算が取れるものだけ整備する」
という考え方を徹底すると、国家全体の生産能力が低下する可能性があります。
なぜなら、公共財の価値は直接的な利益だけでは測定できないからです。
公共財は、民間企業や国民全体の経済活動を支える基盤だからです。
3.高速道路政策から考える国家経済論
例えば高速道路について考察します。
市民経済論だけで考えると、
「高速道路会社は利益を確保し、投資を回収しなければならない。」
という判断になります。
これは企業経営としては正しい考え方です。
しかし国家経済論では、
「高速道路は国民全体の物流、生産活動、地域発展を支える国家資産である。」
という視点になります。
高速道路によって、
- 企業活動が活発化する
- 地方経済が発展する
- 災害時の輸送能力が向上する
- 国民生活が便利になる
のであれば、単純な採算性だけで判断することはできません。
国家経済における公共財は、将来の経済力を形成する投資なのです。
4.理念が正しいとは、どの基準で判断するのか
ここで、政治家の理念について考えます。
政治家が、
「無駄を削減する」
「財政を健全化する」
「利益を確保する」
という理念を掲げた場合、それ自体は市民経済論では合理的です。
しかし国家経済論に照らした場合、本当に国民全体の豊かさにつながるのかを検証する必要があります。
理念が正しいかどうかは、
単に個人や企業の視点で判断するものではありません。
国家全体の商品・製品・サービスの質量を高める方向なのか。
国民全体の生活水準を向上させる方向なのか。
これによって判断されるべきです。
5.国家経済論に基づく政治判断
政治家に求められる能力は、単なる節約能力ではありません。
必要なのは、
「国家全体の経済構造を理解し、未来の生産能力を高める判断力」
です。
もちろん、不要な支出を削減することは必要です。
しかし、
必要な公共財まで削減することは、国家経済の縮小につながります。
重要なのは、
削減すべきものと、
投資すべきものを、
国家経済の視点で判断することです。
6.マクロ経済の現実論が求める政治思想
政治判断において最も重要なのは、
「結果だけを見ること」
ではありません。
また、
「一見合理的な市民経済論だけを見ること」
でもありません。
国家経済論に照らして、
・理念
・政策手段
・実行過程
・最終結果
を一体として評価することです。
国家経済論に適合した理念であれば、たとえ短期的には財政支出が増加しても、長期的には国民全体の豊かさにつながります。
逆に、市民経済論だけを国家運営へ適用すると、一見正しい政策が国家全体では逆効果になる場合があります。
結論
~政治家に必要なのは国家経済を見る力である~
政治家の責任とは、単に結果責任だけではありません。
重要なのは、
「どの経済原理に基づいて判断したのか」
ということです。
市民経済論では正しく見える政策でも、国家経済論では誤りとなる場合があります。
これからの政治に求められるのは、個人・企業単位の経済感覚を超えて、国家全体の商品・製品・サービスの発展を考える視点です。
マクロ経済の現実論とは、まさにそのための国家経済を見るための理論なのです。
国民全体の豊かさを実現するためには、市民経済論と国家経済論を混同せず、それぞれの役割を理解した政治判断が必要になります。
