「もったいない」は国家財政には妥当しない
私は、国家経済を考察する際、「もったいない」という概念は、家計や企業の経済には妥当しても、国家財政には原則として妥当しないと考えています。
個人や企業は、収入の範囲内で支出を抑制し、利益や資産を蓄積することが合理的です。しかし国家経済は、数千万、数億の経済主体が相互に取引を行う巨大な循環構造であり、一主体の節約がそのまま社会全体の利益になるわけではありません。
例えば、令和5年度の日本の実質国民所得は約556兆円であります。
ここで、民間企業全体が一年間に投入した元手を仮に470兆円と仮定すると、民間企業全体の利益は、
556兆円-470兆円=約86兆円
となります。
ここで、高齢化社会への対応として、介護・医療・福祉等の社会保障サービスを充実させるため、国家が新たに10兆円の歳出を行ったと仮定します。
すると、介護事業者、医療機関、関連産業等の売上は約10兆円増加します。
その結果、その年度の国民所得は
556兆円+10兆円+α
となり、おおよそ566兆円+αへ拡大することになります。
ここで重要なのは、この「+α」の存在です。
介護事業者の売上が増えれば、従業員の給与も増えます。給与を受け取った人は住宅・食料・衣服・娯楽など様々な消費を行います。
すると、その消費先企業の売上も増え、その従業員の所得も増加します。
さらにその所得が再び消費へ回ります。
このように
一次消費 → 二次消費 → 三次消費 → 四次消費
という経済循環が連鎖的に発生します。
もちろん、この効果は永久に続くわけではなく、時間の経過とともに減衰していきますが、国家歳出は単なる支出ではなく、経済活動を誘発する重要な起点でもあります。
ところが、この段階だけを見て、
「社会保障費が10兆円増えたから、日本国民全体が10兆円貧しくなった。」
という議論がよく見受けられます。
私は、この考え方は国家経済を家計簿感覚で捉えた典型例であると考えています。
国家歳出は、そのまま誰かの所得になります。
国家が支出した資金は市場へ流れ、市場で商品・製品・サービスが生産され、国民所得を形成していくからです。
もちろん、歳出を無制限に増加させるべきと言っているわけではありません。
市場全体の商品・製品・サービスの供給能力を大きく上回れば、インフレーションや貨幣価値の低下を招きます。
その場合には、
増税・国債管理・金融政策
などによって市場貨幣量を適正水準へ調整すればよいのです。
したがって、増税とは国家財政を維持するためだけの制度ではなく、
市場全体の貨幣流通量を調整する政策手段
として理解する必要があります。
逆に減税も同様です。
景気が停滞し、民間需要が不足している局面では、減税によって市場へ資金を供給することも有効です。
つまり、
増税・減税とは、国家経済全体の流通量を調整する手段
なのであり、「国のお金を集める」「国のお金を返す」という単純な家計簿発想ではありません。
高齢化社会は本当に悲観すべきなのか
日本では、高齢化社会になるほど現役世代の負担だけが増加するという説明が多く見られます。
しかし私は、この見方も一面的であると考えています。
技術革新・大量生産・AI・ロボット化等によって、生産性は年々向上しています。
人口が減少しても、一人当たりの生産能力は上昇していきます。
仮に国民所得が
556兆円から300兆円程度まで縮小したとしても、
民間企業全体の投下資本も250兆円程度へ縮小すれば、
利益活動そのものが極端に困難になるわけではありません。
経済規模は縮小しても、
経済構造が維持されていれば社会は十分機能する
のであります。
したがって、高齢化社会だから国家経済が破綻するという見方は、必要以上に悲観的な議論であると私は考えています。
公共事業は「最高品質」であることに価値がある
同様に公共事業についても、「安く造ること」が必ずしも国家経済にとって望ましいとは限りません。
例えば全国規模の高速道路を建設するとします。
最高水準の設計・耐久性・安全性・利便性を備えた高速道路と、
必要最低限の仕様で建設された高速道路とでは、
建設費には差が生じます。
しかし公共事業は民間企業ではありません。
建設費を節約したからといって、その差額が企業利益になるわけではありません。
歳出が減少しただけであり、
適正な歳出水準を維持するためには、
結局、減税や他の支出へ振り替えることになります。
つまり、
公共事業の質を下げても国家全体の経済厚生が向上するとは限らない
のであります。
むしろ、
全国の物流効率
災害対応能力
時間短縮
企業活動
観光
地域経済
などを考えれば、
高品質な公共インフラの方が長期的には国家全体へ大きな利益をもたらします。
私は以前から、
公共財に「贅沢」は歓迎すべきである
と述べています。
公共財は全国民が利用する国家資産であり、その品質は将来世代まで影響を及ぼします。
国家財政の本質
国家財政とは、
「財源があるから歳出する」
ものではありません。
また、
「財源がないから公共サービスを削減する」
という発想でもありません。
国家経済論の本質は、
国家全体として最も価値の高い商品・製品・サービスを最大限供給すること
にあります。
そのうえで、
市場貨幣量を適正水準へ調整するため、
増税・減税・金融政策等を組み合わせればよいのです。
社会保障についても同様です。
政府はしばしば「予算に限界があるからサービスにも限界がある」と説明します。
しかし、本質的には、社会保障は利用者が過度に依存する制度ではなく、自立を支援し、社会復帰を促す制度であるべきです。
リハビリによって社会参加が可能な人は、可能な限り社会活動へ復帰することが本人にとっても国家全体にとっても望ましい姿です。
したがって、社会保障制度は「予算不足だから制限する」のではなく、
自立支援を基本理念として制度設計すること
が本来の在り方であると私は考えています。
国家経済論とは、お金の多寡を論じる学問ではありません。
国家全体の商品・製品・サービスをいかに充実させ、国民全体の生活の質を向上させるかを追究する学問です。
その視点に立てば、「もったいない」という家計的発想ではなく、「国家全体として何が最も価値ある歳出なのか」を考えることこそが、真の国家財政論であると私は考えています。
