労働問題における損害賠償責任――債務不履行責任と不法行為責任
労働関係において、労働者または使用者が相手方に損害を与えた場合、その損害賠償責任の根拠となる法律構成は、大きく二つに分けられます。
それは、
(1)民法第415条による債務不履行責任
(2)民法第709条による不法行為責任
です。
労働関係は、労働契約という契約関係を基礎としています。
したがって、労働問題における損害賠償では、まず契約関係を前提とした債務不履行責任が問題となり、さらに契約関係を超えた一般的な権利侵害として不法行為責任が問題となります。
この二つの責任制度は、同じ損害賠償という結果を目的としますが、その成立要件や立証責任には大きな違いがあります。
1 債務不履行責任(民法第415条)
(1)債務不履行責任の基本構造
民法第415条の債務不履行責任とは、
「契約によって発生した義務を果たさなかった場合に、その不履行によって生じた損害を賠償する責任」
です。
その前提には、
- 当事者間に契約関係が存在すること
- 契約上の義務(債務)が存在すること
- その義務が履行されていないこと
- 損害が発生していること
があります。
労働関係では、労働者と使用者の間には労働契約があります。
したがって、労働契約上の義務違反があれば、債務不履行責任が問題となります。
2 債務不履行責任が被害者に有利となる理由
労働災害、ハラスメント、安全管理義務違反などでは、不法行為責任より債務不履行責任を主張する方が、被害者にとって有利となる場合があります。
理由は主に二つあります。
(1)立証責任
不法行為責任では、被害者が、
- 加害者の故意または過失
- 違法性
- 損害
- 因果関係
を立証する必要があります。
一方、債務不履行責任では、契約上の義務違反が問題となります。
債務者側が、
「自分に責任がないこと」
を主張・立証する場面が多くなります。
つまり、立証責任の構造上、債権者側に有利になる場合があります。
(2)時効期間
債務不履行による損害賠償請求権は、原則として、
- 権利を行使できることを知った時から5年間
- 権利を行使できる時から10年間
で時効となります。
一方、不法行為による損害賠償請求権は、
- 損害および加害者を知った時から3年間(生命・身体侵害の場合は5年間)
- 不法行為時から20年間
で時効となります。
そのため、事案によっては債務不履行責任の方が長期間の請求可能性を持つ場合があります。
3 安全配慮義務――債務不履行責任の拡張
労働法分野における重要な発展として、安全配慮義務があります。
本来、雇用契約の中心的義務は、
- 労働者が労務を提供する義務
- 使用者が賃金を支払う義務
です。
しかし、労働関係は単なる財産取引ではありません。
労働者は使用者の指揮命令下で働き、職場環境による危険の影響を受けます。
そこで、契約書に明記されていなくても、
「使用者は労働者の生命・身体・健康を安全に保護する義務を負う」
という考え方が形成されました。
これが安全配慮義務です。
昭和時代の判例では、この義務は民法第1条第2項の信義則から導かれる労働契約上の付随義務として認められていました。
現在では、労働契約法第5条に明文化されています。
つまり、安全配慮義務は、
一般条項(信義則)
↓
判例による具体化
↓
法律による明文化
という形で発展した制度です。
4 不法行為責任(民法第709条)
(1)不法行為責任の基本構造
民法第709条は、
「故意または過失によって他人の権利または法律上保護される利益を侵害した者は、損害を賠償する責任を負う」
と定めています。
不法行為責任の特徴は、
「契約関係が存在しなくても成立する」
ことです。
例えば、
- 第三者による暴力
- 職場外の第三者による名誉侵害
- 契約関係のない者による財産侵害
などが対象となります。
(2)立証責任
不法行為では、被害者が、
- 故意・過失
- 権利侵害
- 損害発生
- 因果関係
を立証しなければなりません。
そのため、一般的には債務不履行責任より被害者側の負担が大きくなります。
5 使用者責任(民法第715条)
使用者責任とは、不法行為責任の特殊類型です。
民法第715条は、
「従業員が業務中に第三者へ損害を与えた場合、使用者も責任を負う」
という制度です。
これは、企業活動によって利益を得ている使用者に対して、その活動に伴うリスクも負担させるという考え方です。
つまり、
利益を得る者は、その活動から生じる危険についても社会的責任を負う
という制度です。
6 共同不法行為と連帯責任
従業員本人の不法行為責任(民法709条)と使用者責任(民法715条)が成立する場合、被害者保護の観点から、両者は連帯して責任を負います。
連帯責任とは、
「被害者は、複数の責任者のうち誰に対しても全額の賠償請求ができる」
という制度です。
被害者は、
- 従業員に請求する
- 使用者に請求する
- 両者に請求する
ことができます。
これは、被害者が確実に救済されることを目的としています。
7 求償関係――内部的負担の調整
連帯責任では、最終的な負担割合まで同じになるわけではありません。
例えば、
- 従業員の責任割合 30%
- 使用者の責任割合 70%
である場合、使用者が全額賠償したときは、従業員に対して一定額を求償できます。
ただし、求償相手に資力がなければ、実際の回収は困難になります。
民法715条では、使用者から被用者への求償について規定があります。
一方、被用者から使用者への求償については明文規定がなく、判例・解釈によって判断されています。
8 損害賠償制度の本質――被害救済と公平負担
債務不履行責任と不法行為責任は、単に損害を金銭で補償する制度ではありません。
その本質は、
「社会における危険を誰が負担するべきか」
という問題です。
債務不履行責任は、契約関係における信頼を保護します。
不法行為責任は、社会一般における権利侵害を救済します。
使用者責任は、企業活動による利益と危険負担を調整します。
つまり、損害賠償制度とは、
「自由な経済活動を認めながら、その結果生じる不利益を公平に配分する社会的調整制度」
であると言えます。
