危険負担と労働契約――ノーワーク・ノーペイ原則と賃金請求権の関係

 労働関係において、使用者の都合により労働者が働くことができなかった場合、労働者は賃金を請求できるのでしょうか。

 一般的には、

「働かなければ賃金は発生しない」

というノーワーク・ノーペイの原則があります。

 しかし、この原則は絶対的なものではありません。

 労働者が働けなかった原因が使用者側にある場合には、労働者は労務を提供できなくても賃金を請求できる場合があります。

 その法的根拠となる重要な考え方が、

「危険負担」

です。

 危険負担とは、契約関係成立後に、当事者の責任によらず債務の履行が不能となった場合、そのリスクを契約当事者のどちらが負担するのかという問題です。


1 双務契約と危険負担の基本構造

 危険負担を理解するためには、まず双務契約の理解が必要です。

 双務契約とは、

「当事者双方が互いに対価的な債務を負担する契約」

をいいます。

 代表例は、

  • 売買契約
  • 雇用契約
  • 請負契約

などです。

 売買契約であれば、

売主
→ 商品を引き渡す義務

買主
→ 代金を支払う義務

を負います。

 雇用契約であれば、

労働者
→ 労務を提供する義務

使用者
→ 賃金を支払う義務

を負います。

 つまり、双務契約では一方の債務と他方の債務が対価関係にあります。

 そこで、一方の債務が履行不能となった場合、

「相手方は、それでも反対給付をしなければならないのか」

という問題が発生します。

 これが危険負担です。


2 危険負担における債務者主義と債権者主義

 危険負担には、

(1)債務者主義
(2)債権者主義

という考え方があります。

(1)債務者主義

 債務者主義とは、

「履行できなくなった側がリスクを負担する」

という考え方です。

 つまり、履行不能となった債務者は反対給付を請求できません。

 民法改正前の危険負担では、これが原則とされていました。

 理由は、

「自分の債務が消滅した以上、相手方にも対価を要求できない」

という公平の考え方によります。

(2)債権者主義

 債権者主義とは、

「債務者に責任がなくても、債権者がリスクを負う」

という考え方です。

 つまり、債務者は履行できなくても、相手方に反対給付を請求できます。

 労働契約で考えると、

使用者の事情によって労働できなかった場合でも、

「労働者は働く準備をしていた」

のであれば、使用者が賃金リスクを負うという考え方になります。


3 民法改正後の危険負担制度

 令和2年施行の民法改正により、危険負担制度は大きく整理されました。

 改正後は、

「反対給付債務を消滅させる制度」

ではなく、

「反対給付債務の履行を拒絶できる制度」

として整理されています。

 つまり、

履行不能が発生した場合、

① 契約を解除する問題
② 代金・報酬支払を拒絶できる問題

を分けて考えることになりました。

 改正後の考え方では、

解除
=契約関係から解放される制度

危険負担
=反対給付を拒絶できる制度

という役割分担になっています。


4 労働契約における危険負担

 労働契約も双務契約です。

 労働者は労務提供義務を負い、

使用者は賃金支払義務を負います。

 では、労働者が働けなくなった場合、誰がリスクを負うのでしょうか。

 重要なのは、

「労働不能の原因が誰にあるか」

です。


5 使用者の帰責事由による労務提供不能

 典型例は、不当解雇です。

 使用者が労働者を解雇したものの、裁判等により解雇が無効と判断された場合です。

 この場合、

労働者は働く意思と能力があったにもかかわらず、使用者の行為によって就労できませんでした。

 この場合、使用者側に帰責事由があります。

 したがって、

労働者は労務を提供していなくても、賃金請求権を有します。

 この賃金は、労働基準法第26条の休業手当とは異なります。

休業手当
=平均賃金の60%以上

危険負担による賃金請求
=原則として賃金全額

となります。


6 休業手当と危険負担の違い

 両者は似ていますが、根拠が異なります。

項目休業手当危険負担による賃金請求
根拠労働基準法第26条民法第536条等
目的労働者生活保障契約上のリスク分担
支給額平均賃金60%以上原則100%
原因使用者の責任ある休業使用者帰責による労務不能
性質労働保護規定民法上の契約責任

 つまり、

休業手当
=最低限度の生活保障

危険負担
=契約上の公平なリスク配分

という違いがあります。


7 安全配慮義務と債務不履行責任との関係

 労働契約では、使用者には単なる賃金支払義務だけではなく、安全配慮義務があります。

 この義務は、かつては信義則(民法第1条第2項)から導かれていました。

 現在では労働契約法第5条に明文化されています。

 安全配慮義務違反があれば、

使用者

労働契約上の義務違反

債務不履行責任(民法415条)

という構造になります。

 つまり、労働契約とは単なる労務と賃金の交換契約ではなく、人間の安全と尊厳を保障する契約でもあります。


8 受領遅滞と労働契約

 労働者が働く意思を示しているにもかかわらず、使用者が受け入れない場合があります。

 これは、

「使用者による労務受領拒否」

という問題になります。

 民法上は受領遅滞(民法413条)が問題となります。

 使用者が労務提供を受けることを拒否した後に、当事者双方の責任によらず履行不能となった場合には、債権者側(使用者)の責任とみなされます。

 これは、

「受け取るべき者が受け取らなかった以上、そのリスクを負うべきである」

という公平の考え方です。


9 危険負担の本質――社会的リスクを誰が負うのか

 危険負担の本質は、

「偶然発生したリスクを誰に負担させるのが公平か」

という問題です。

 売買契約では、

商品滅失のリスク

労働契約では、

労務提供不能のリスク

として現れます。

 特に労働契約では、労働者は生活の基盤として賃金を得ています。

 そのため、使用者の経営判断や管理上の問題によるリスクを、一方的に労働者へ負わせることは公平ではありません。

 危険負担制度とは、

「契約自由を前提としながら、社会的公平を実現するためのリスク配分制度」

なのです。

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