制限戦争の時代と、その先の世界平和
私は現在を、「制限戦争の時代」と位置付けています。
二十世紀に核兵器という圧倒的な破壊力を持つ兵器が誕生したことにより、大国同士が全面戦争を行えば、人類全体に取り返しのつかない被害をもたらすことが広く認識されるようになりました。その結果、国家間の対立は依然として存在するものの、全面戦争は極めて回避されやすい国際環境が形成されつつあります。
歴史を振り返ると、日本国内では江戸時代に長期間戦争のない社会が実現しました。
もちろん、その政治体制は封建制度であり、現代の民主主義とは異なります。しかし、一つの重要な示唆があります。それは、将軍が諸大名を圧倒する政治的・軍事的優位を持ち、国内において武力による現状変更が極めて困難な秩序が形成されていたという点です。
必ずしも制度そのものを理想とする必要はありませんが、「武力による問題解決が現実的な選択肢ではなくなる力の均衡」が平和を維持したことは、歴史的事実として考察に値します。
現代の国際社会も、最終的には各国が武力によって利益を得られない国際秩序を構築できるかどうかが、恒久平和への重要な課題になるでしょう。
その視点から考えると、日本が目指すべき軍事政策も明確になります。
現在の日本が軍事力を拡大したとしても、それを積極的に行使することは、現実には極めて困難です。むしろ軍事力は、相手国に対して戦争を思いとどまらせる抑止力として必要最小限保有されることが望ましいと考えます。
軍事力は、戦争を行うためではなく、戦争を起こさせないために存在する。その考え方が、二十一世紀の安全保障の基本理念になっていくのではないでしょうか。
一方で、必要性を超えて軍事力を肥大化させれば、その権限が本来の抑止目的を超えて用いられる危険性も生じます。権力は適切に制約されてこそ、国民の利益に資するものとなります。
私は、今後十年から数十年という長い時間の中で、国際社会はさらに戦争を否定する方向へ進んでいくと考えています。
国際法や国際機関の役割が強化され、武力による紛争解決よりも外交・経済・国際協調による解決が主流となれば、戦争は法制度上だけでなく、現実の政策選択としても一層採用されにくくなるでしょう。
そのような時代には、日本国憲法が掲げる平和主義や戦争放棄の理念も、より現実的な価値として再評価される可能性があります。
現在でも、自衛隊の位置付けや集団的自衛権などを巡っては、多様な憲法解釈が議論されています。これは、安全保障環境と憲法理念との調和を模索する過渡期にあることの表れとも言えるでしょう。
将来、人類が武力による対立をさらに克服し、経済力、科学技術、文化、そして国際協力によって世界が発展する時代を迎えるならば、各国が競い合う対象も軍事力ではなく、人々の豊かさや社会の成熟度へと移っていくはずです。
私は、そのような国際社会の実現を目標として、国家経済論と平和国家の理念は相互に補完し合うべきであると考えています。軍事力を誇る国家ではなく、豊かな経済力、高い技術力、そして国際社会から信頼される国家こそが、これからの時代の真のリーダーシップを担うことになるでしょう。
